minamihiroharu’s diary

のーこみゅにけーしょん ぷりーず

はてブで賛否とも見かけた「リコリス・リコイル」を観てみたんだが

明らかに俺向きの作品じゃなくて、薄気味悪さを色々と感じた。

薄気味悪いポイント

その1 キャラクタのサイコパス

「可愛らしい少女の殺人鬼」キャラ、殺人や暴力への生理的な嫌悪が「生まれつき無さそう人物」が大勢出てくるのが受け付けられない部分。 左手で友人とたわいない会話をしながら、半泣きの悪役顔の口の中に突っ込んだ拳銃の引き金を引いていそうなキャラを Cool! って思う人が居るけど、そう云う人には楽しめる作品だろうとも思う。

第一話しか観てないので想像なんだが、そういうキャラクタは政府機関が秘密裏に幼少時から洗脳的な教育で作り出しました、って感じの設定だろうなと思うのだが、俺の世代的には「そう云う種類の人間」には、人間性を無視した無理な訓練・教育で「壊れてしまったなにか」をキャラ造形の上で持たされるのが普通で、それだからこそそう言った殺人鬼としか表現できないキャラクタにも、その内面を想像する余地・手がかりというものがあったのだけれど、少なくともこの第一話を見る限り、明るく健康で躊躇いなく人を殺す殺人鬼の少女とそれを利用する権力側の大人達ばかりが出てきて、感情移入不能な作品になっている。

「バナナフィッシュ」のアッシュ・リンクスは間違いなく殺人鬼、それもあらゆる面で超高性能な殺人マシーンで、そう云う現場にあっては全くの躊躇いもなく「敵」を殺して回るキャラだけれど、その内面を読者が想像して入り込むことは当然に可能なキャラクタであり、殺人機械としての恐ろしさを感じることはあっても「不気味さ」を感じる事はない。 これは悪役側だった月龍でさえそう云う種類の不気味さからは無縁で、それどころかあのムッシュウですら不気味ではない事を思うと、この作品と俺の組み合わせの悪さを感じるのである。

でも、最初からこの作品を楽しんでいる人も多いみたいで、こう云う作品をまるで理解できない俺としては「やはり(俺とは全く違う創作文化で育っている)若い人がこう云う作品をたのしんでいるのかもなあ」と想像している。

 

その2 主役の一人である錦木千束のキャラが作り物めいてる

これは先の話で「千束は内心を隠した作り物の人格を演じているから」みたいな展開をするかも知れないのだが、とりあえず第一話での印象では「どす黒い裏のある明るさを示す、気味の悪い少女」という印象である。 俺が親しんできたエンタメでは、こう云うキャラはファム・ファタールとしてしか現れないだろうと思うのだが、たぶん千束はそうではない。(死ぬべきメインキャラの『男性』の登場もおよそ想像し難い第一話だし)

躊躇いなく敵を射撃するが、特殊な弾丸()で「射殺はしない」のは、まあ昔は普通に殺していたが、先々の話で明らかになる「回心」によって(一応の所は)不殺の方針に変わった、みたいなキャラなんだと思うが、シンプルに殺人鬼であるもう一人の主人公の井ノ上たきなよりも、理解不能な知性の薄気味悪さ、という点ではこっちの方が上。 たきなが出世とかリコリスでの殺しの仕事にセルフ・アイデンティティーを感じている所が表現されていて、その部分は(一応)理解可能な人間性であるので、って所はある。

 

その3 敵と見なした・殺害を指示された人間に対する徹底した無感情さと裏腹の、同僚への愛着

戦争を扱った小説や映画などでは、戦場での殺し合いで精神の柔らかい部分が全て摩滅し、敵と敵の生命を軽蔑するだけでなく、自分の生命すらも軽蔑する様になるキャラクタ、というのも造形されるけれども、リコリスで働く少女たちは殺害目標としての意味しか持たない「敵」については徹底した無関心と、その生命への軽蔑の姿勢がはっきりしている割に、自分や同僚の命については「普通の人間であるかの様に」愛惜の念を持ち、作戦上の「必要な損害」として切り捨てる事に強い抵抗を感じたり、たきながやった様に人質になった同僚を「敵ごと殺害する意思」はなかったが「そうなっても仕方がない」と感じさせる様な強引な手段に対して、明白な怒りを感じる「人間性」はちゃんとある所が、却って薄気味が悪かった。

 

まあ、他にも色々と不気味さを感じる部分はあったのだけれど、その不気味さは創作者側が計算して演出した「不気味さ」なのか、創作者の内面から意図せずに滲み出てくる不気味さなのかが良くわからない。 確かめようと思うなら続けて見れば良いのだろうが、面白い所がある半面でちょっと我慢ならないレベルで気味が悪いので、ちょっと次を見る気が起きないというのが正直なところである。