minamihiroharu’s diary

のーこみゅにけーしょん ぷりーず

筒井康隆さんで好きな小説

中学の頃に読み始めて、大学に上がった頃に「虚人たち*1」で読むのを止めた筒井康隆氏の小説やエッセイだが、俺が影響を受けた作家としては一番だろうと思う。 (二番目が呉智英なのは我ながら本当に情けないと思うが)

 

虚人たち」以後の小説では、「パプリカ」と「銀齢の果て」くらいしか読んでおらず、代表作(だと思う)の「虚航船団」とか「残像に口づけを」などは読んでいない。

 

だから、円熟期の筒井氏の著作は殆ど知らず、初期の作品だけしか読んだことがないのである。

 

それでも新人・中堅の頃は流行作家として量産していた方なので、読んだ話は結構な数になる。 その中で印象に残っている作品がいくつかあって、その中でも印象の強く残っている話が三つ。

 

1つ目は「熊の木本線」 話の結末は「正しく歌ってしまうと大きな災厄を招く忌み歌」をそれを知らない主人公が偶然にも正しく歌ってしまう、というもので、そのプロット自体にはそれほど感銘を受けなかったのだけれども、そこに至るまでの熊の木部落、その住民の描写が映像的に生々しく描かれていて、作品世界に生気が通っているだけでその小説にも生命が宿るのだと云うことを強く感じたお話だった。

 

2つ目は「家」 水上に浮かぶ数階建ての家*2に住む、まだ子供の主人公が、自分が聞かされた話や身の回りで見たことをただ記述するだけのお話だ。 主人公はその家から一歩も出ることなく生活を続け、様々な真偽定かならぬ話を聞き、行事に出たり「家」を修理する作業を見物していたりする。 禁忌と思われる質問をして父の怒りを買い、家を追い出され(と言うよりは一家の生活する部屋から出されただけ。家の外は一面の水である)

そして、嵐で浸水した家の廊下を高熱でおぼろげな意識のまま流されていく場面で終わる。

ただただ「家」の中での生活が丁寧に記述されるが、何一つ謎は明らかにされない。(精力男に出くわしたりもしない) だが、やはり描かれた世界は生きており、小説でありながらその記憶は極めて映像的だ。

 

3つ目が「遠い座敷」 麓に済む主人公が山の上にある座敷、それは麓の我が家から斜面を延々と棟繋がりに頂きまで上り詰めていく幻想的な建物*3で、その頂きにある座敷から麓の自宅まで降りていくだけの話である。

穏やかに始まった話が、段々と速度を上げて物語の最後に向かって突っ走っていく語り口が見事で、筒井氏の小説の特徴として「文体の疾走感」を採り上げられることが多いのが納得できる。

 

「説明せず描写せよ」みたいな警句は文章修行本にはよくあるフレーズだと思うが、筒井氏の小説はその大事さをわかりやすく示す教材みたいな所があるなと、今更になって思うが、これは自分でも駄文を書くようになったから気付いたのだろうなと思う。

 

*1:※ 難解で手も足も出なかった

*2:外から見た描写がないのでわかるはずがないのだが、当時の俺には合掌作りの家が目に浮かんだ

*3:山城にある登り石垣的な感じか?